ジネディーヌ・ジダン ラストダンス

W杯の総括も書いてないのに真っ先に書きたい事。
サッカー興味ない人も耳に、そして目にしているだろう決勝戦での出来事。
昨日ジダンが3日の時を経て初めてあの出来事を口にしました。
 

「僕は(マテラッツィに)シャツを引っ張るのをやめてくれと言った。もし欲しければ、試合が終わってから交換しようってね。すると彼は、とてもひどい言葉を返してきた。繰り返して、何度も。言葉は時に暴力より打撃を与えることがある。顔を殴られる方がましだ。いずれにせよ、時間の問題だった。彼の言葉は僕の心の奥底を傷つけたんだ」
「とても個人的なことだった。僕の母と姉に関することだ。1度でも耳にすると、その場を立ち去りたくなる。僕も実際、その場を離れようとしていたんだ。だが、同じことを2度、3度聞かされると……」
「あの場面を見ていた子どもたちに謝りたい。僕の行為は許しがたいものだ。(略)もちろん、あんなことをしてはいけない。何十億もの視聴者の皆さん、そして何百万の子どもたちがあの場面を見ていたんだから、はっきり言いたい。子どもたちに、そして教育者の皆さんにおわびします」
「僕にも子どもがいる。自分が何をしたか分かっている。やられっぱなしではいけないと言っているが、あんな暴力行為は許されるべきではない」
「僕のしたことを後悔はしていない。もし後悔していると言えば、(マテラッツィの)あの暴言が正しいということになってしまう。そんなことはできない。後悔しているなんて言えない。それに、彼があんなことを言うなんて間違っている。絶対に間違っている」
「僕が現役最後の試合で、楽しいからあんな行為に及んだと思っているのだろうか。僕が言いたいのは、こういう時はいつも手を出した方がとがめられるということだ。もちろん手を出した者は罰せられるべきだ。でも挑発がなければ、それに対する反応もない。本当に罪を犯した方を罰するべきだ。それは挑発した方だ」

 
先に言っておきますが僕はジダン寄りです。
今回の会見を見てジダンは非常に大人だな〜と感じました。
一度も相手の選手(マテラッツィ)の名前を出してませんし、言われた侮辱的な言葉も口に出しませんでした。
マテラッツィの選手生命を考えてか。または無言のプレッシャーか。
なんにしろこの会見でマテラッツィはマスコミからの執拗なまでの追求から逃れる事が出来たのです。
当のマテラッツィも「(母の事は言ってないが)消去法でいけば(姉の事はいった)」といった母への侮辱は否定したものの姉の事に関しては否定していない。
まー今更言ったか言わなかったかはジダンの最後の試合で賭ける思いから考えたら言っていたに決まってるので加熱するマスコミには冷静になってほしい。
ジダンは今回の行為に対して謝罪はするが後悔はしてないと言ってる。
ジダンも人の子、普通の人。神様ではない。
サッカーよりも大事なものがあったってことだと思う。
サッカーよりも家族の名誉を取った事に単純に尊敬してる。
 
今回のような暴力は絶対に許されるべき行為ではない。
でもそれには理由があって何も無差別に攻撃してるわけでない。
手を出した方だけ罰せられるのはいかがなものなんだろうか。
あの手を出した瞬間。
頭突きではなくパンチでもおかしくない言葉を3回も言われて、あえてダメージの少ない胸に頭突き。
許されない行為を重々承知で行ったジダンの胸中を察する。
 
 
マテ派の人たちはジダンも侮辱してるお互い様だと言ってるが、ユニあげる等の皮肉めいた言葉は侮辱になるのだろうか。大人的で非常にユーモア(皮肉も込めて)だと思う。人種的言葉と同じ重みを持つのだろうか。また侮辱なんて当たり前だと言う人たち。当たり前と言う発想がもうすでに間違ってる。欧州じゃ当たり前だ。じゃーピストル社会が当たり前なアメリカでは銃殺が起こっても当たり前でいいのか。
まー完璧にジダン擁護派なのであー言われたらこー言い返します 笑
 
マテ兄

マテ兄の画像があったので。ひどすぎるよ。。
もともと知ってたけどさ。なんでここまでするかな。。。